カテゴリ: 旅行記

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愛知県豊川市豊川町一番地
豊川閣妙厳寺

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御由緒
『当山は1441年(室町時代前期の嘉吉元年)東海義易禅師によって開創された曹洞宗の寺院です。
 法堂(本堂)には本尊の千手観世音菩薩がおられ、本殿には護法鎮守として稲を担ったその姿から通称豊川稲荷で親しまれている豊川ダキニ真天を祀っております』
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四千円以上の祈祷を受けると、精進料理が頂けます。

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感動的な美味しさです。
祈祷と食事の後、2階に上がると御本尊の千手観音様を拝めます。
現在の御本尊は新しい法堂が完成したら新たな御本尊像の胎内仏となることが決まっており、間近に拝観できるのはこれが最後の機会となりそうです。
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満ち足りた気持で境内を散策します。
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奥の院では切り火参拝ができます(500円以上お納め)

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目を閉じていても網膜に焼きつくような火花が飛びます。
お財布にも火を切ってくれました。
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可愛いお狐様。2体連れ帰りました。
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いまここにいるだけで幸せ、とわからせてくれる豊川稲荷なのでした。

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宝登山に行ってきました。

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長瀞駅から15分ほど歩いて、ロープウェーで山頂へ。

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空気には蝋梅の香が満ちていました。
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秩父の山を見渡す眺めが見事です。

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寶登山神社奥宮
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日本武尊を火事から守ったという山犬伝説に依って、
狛犬が山犬になっています。
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麓では火祭りをやっていました。
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寶登山神社
御祭神:神日本磐余彦尊(神武天皇)
    大山祇神
    火産霊神
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寶玉稲荷神社
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失せ物探しに御利益があるそうです。
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大谿山 豪徳寺


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彦根藩主 井伊家の菩提寺です。
徳川四天王の一人井伊直政は上州の大名でしたが、関ヶ原の戦後に近江国を任されています。
世田谷は井伊家の領地(飛び地)でした。
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井伊家の上屋敷にあった赤門を移築しています。

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地蔵菩薩半跏像
たいへん美しくて、またお会いしたいと思わせられるお地蔵様でした。
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境内には歴代藩主や正室たちが眠る墓所があります。

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桜田門外の変で命を落とした大老や彦根藩士の墓もここにあります。
襲撃した方(水戸や薩摩の過激派浪士)もほとんどは自刃や処刑されていますが、
生き残った彦根藩士も悲惨でした。
むざむざ主君の首を取られ家名を貶めたということで、
軽傷者は切腹、無傷の士卒は斬首の上お家断絶となったそうです。
幕府の最高権力者があっけなくやられたこの事件が世間に与えた印象は強烈で、
武家の棟梁としては致命的なものでした。
それから7年7ヶ月で大政奉還に至っています。
長州征伐でも鳥羽伏見の戦でもなく、桜田門外の変で、徳川幕府は終ったのかもしれません。
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雪降りて 墓も動くか 豪徳寺
<しろがね>
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豪徳寺は巷では招き猫の寺として知られています。
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2代目井伊彦根藩主井伊直孝が、猫に手招きされて豪徳寺に立ち寄り、雷雨を免れたという言い伝えから、
幸運の猫を奉っているのだそうです。
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この光景は外国人観光客の間で有名になっているらしく、
たくさんの異国の人々が訪れていました。
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確かに独特の迫力があって見飽きない眺めでありました。
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無表情なところがたまりません。
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一体連れて帰りたかったのですが、
寺務所が15時で閉まっており、手に入れ損ねました。
また来ようと思います。

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天台宗 星野山 無量寿寺 喜多院
通称:川越大師

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慈覚大師円仁は天長7年(830)に淳和天皇の勅を受けて星野山無量寿寺を創建。
本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王・毘沙門天等をお祀りした。

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現在、本堂に祀られているのは
慈恵大師良源(比叡山延暦寺第18代座主、別名元三大師)
開山慈覚大師円仁(比叡山延暦寺第3代座主)
中興尊海僧正
左右両壇に不動明王
毎日、不動護摩供がおこなわれています。

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慈眼堂
喜多院第27世・天海大僧正の木造をお祀りしています。
千三百年ぐらい前の古墳上に建っているそうです。
天海大僧正は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕え、顧問的存在としてたいへん信頼されていた僧侶で、百八歳まで生きたと伝えられています。
織田信長の比叡山焼討ちも体験しており、山から落ち延びた後は武田信玄に匿われていたというから、江戸時代の人にとっては生ける伝説のように思われたことでしょう。
徳川家康は天海を重用し、天海のために天台宗関東探題の地位を創りました。
家康の死後、東照大権現の名を贈ったのは天海です。

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天海は江戸の街をグランドデザインした人でもあり、そのモデルは比叡山を擁する京の都でした。
東叡山たる喜多院のそばには当然、山王権現(日吉神社)が鎮座していなければならないのです。
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上野忍岡の地に、清水寺(観音堂)と琵琶湖を模した弁天堂もつくりました。
江戸城天守閣にも何やら仕掛けを施したという説もあり、興味の尽きない御方です。
慈眼大師の追号は京の朝廷から贈られたものです。

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スウェーデンのカール16世グスタフ国王は20回ぐらい来日している方ですが、喜多院にも訪れているとは驚きでした。
陛下がスウェーデン国王をもてなすために、数ある名所の中から喜多院が選ばれた理由についてあれこれ妄想するのも、また楽しからずや。
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本堂の護摩供では、平日にも関わらず御堂を埋め尽くす人々が参加していました。
百人はいたでしょうか。
現在も厚く信仰されていることが感じられる、天台宗の名刹なのでした。
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東京から市川、津田沼を通過してしばらくすると千葉に着きます。

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千葉駅から少し歩き、モノレールの下を潜って、千葉常胤像のある公園を通り抜け、千葉神社へ。
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狛犬さんに御挨拶。
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御由緒によると『千葉神社の神様・北辰妙見尊星王(通称:妙見さま)は、天の中央を定位とする星王であり、人の運命やすべての方位を司る“星霊信仰の頂点に立つ大神霊”です。この妙見さまの御分霊をおまつりした「尊星殿」は、妙見さまが支配する天の星々の御力である三宝(福・禄・寿)の御力を各所から個別にいただけるように配置された、全国で唯一の楼門型分霊社となります』
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華やかな楼門は見ただけでワクワクします。
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神紋:三光紋
社紋:九曜紋
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本殿の二階にも拝殿がある、珍しい造りです。
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千葉天神
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檜の匂いが心地よくて何度もやりました。
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石を撫でたり水を飲んだり、やることの多い神社なのです。
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境内社もバラエティ豊かです。

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境内をぐるぐる歩き回るだけでちょっとした旅をしたぐらいの充実感があります。

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駅からの道筋があやふやだった為、「伏見桃山城」を目指して歩く。
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迷いながら歩いていると目に入る、「宮内庁」の文字。
「ここだ!」と思いましたね。
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それでもまだ自信はなかったものの、
「もう御陵への参道でしか有り得ない」道を発見。
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ますます深まる確信。

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到達しました!

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あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな
 ―御製 明治三十七年―

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明治天皇の陵墓は、かつて豊臣秀吉が築いた伏見城本丸の跡地でもあります。

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京都・大阪・奈良を見渡す眺めは雄大で、いかにも帝が「ここに眠ろう」と思召すのも納得の土地です。
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江戸に行幸される時、「すぐに帰ってくるから」と都の人々に告げたーかどうかは定かではありませんが、京都をいつも懐かしく思われていた明治天皇は、最後には京にお戻りになったのでした。

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をりにふれ こひしきものは をさなくて すみし都の 宮居なりけり
  ー御製 明治三十九年―
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桓武天皇の陵墓も近くにあります。

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常緑樹の森がとても心地よいところでした。


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宇治川の流れ
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浮舟と匂宮像

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宇治川のせせらぎを聞きながら歩いていると、
源氏物語を本当に終らせるためにはこの土地でなければならなかったと思わせられます。
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曹洞宗仏徳山 興聖寺

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琴坂
坂の両脇を流れる水の音が琴の音のように聞こえたことから、
そう呼ばれるようになったそうです。


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まさしく大君と中の君が奏でる琴の音が聞こえてくるようです。

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多くの仏像があり、非常に見応えのある寺院でした。
小野篁作の観音様や、見るからに気前のよさそうな三面大黒天様が印象的です。

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茨城県笠間市笠間1番地
笠間駅から真っ直ぐ伸びた道を20分ほど歩くと、参道にたどり着きます。

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御祭神:宇迦之御魂神

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御由緒:『社伝によれば第三十六代孝徳天皇の御代白雉二年(西暦六五一年)に創建せられ其の後寛保二年に城主井上正賢が御社殿を拡め奉斎の誠を尽し引続き代々の藩主の祈願所と定め尊崇厚く日本三大稲荷として遍く全国を通じて知らる猶古くから別の名を紋三郎稲荷胡桃下稲荷と称し殖産の神として尊崇せられています』

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ちょうど菊祭りでした。
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晴れやかな境内に菊の香が漂って、夢のような心地よさです。
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笠間藩の藩校(時習館)では吉田松陰が講義したり、高杉晋作が訪れたりしたこともあるそうです。
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藩の気風を反映してか軍神のような、キリッとした雰囲気があります。

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【御祭神】
 大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)
 大雷神(おおいかずちのかみ)
 高龗神(たかおかみのかみ)
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伊勢原駅からバスで25分、長い階段の参道を歩いてケーブルカー乗場へ。
標高696mの下社に到達します。

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この時点ですでに眺めが雄大です。

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修験道の雰囲気を感じます。

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御神水を頂けます。

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富士山信仰もあり。

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鹿がいました。

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紅葉の時期はさぞ見事だろうと思います。

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奥宮に行くには登山が必要です。
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少しだけ登ってみよう・・・と思っていたら、
あまりの心地よさに引き返せなくなってしまいました。

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標高1251.7m
大山の頂上に本社があります。


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足の痛みも吹き飛ぶ絶景です。
                                                           
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しかし下りのほうが膝にきます。
杖(ストック)は持っていた方がよいでしょう。


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25年振りの富士吉田。
かすかに見覚えがある、ような気がします。

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富士山駅から観光案内所方面へ出て、信号のところで右折して少し歩くと、
金鳥居に到達します。

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富士山に向かってひたすら歩きましょう。
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国道に出たところで左へしばらく歩くと、浅間神社前の森が見えてきます。
石灯篭と杉並木の参道へ入ればそこは別世界です。

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北口本宮冨士浅間神社

祭神 木花開耶姫命 彦火瓊瓊杵尊 大山祇神

由緒 『景行天皇四十年(110)日本武尊が東方遠征の折に当地を御通過、
    大塚丘の上にて富士山を遥拝され、小祠を営んだことを発祥とする』
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しめ縄が蝶々結びです。
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豊かな水の気配を感じます。

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拝殿の裏には東宮、恵毘寿社、西宮があります。
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こちらの鳥居の向こうは富士登山道吉田口。
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ここから少し歩くと大塚丘があります。
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大昔、富士山に登ったことがありますが
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いまとなってはもう思い出すこともかなわない夢のようです。
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