後鳥羽院の勅撰和歌集。
万葉以来の古典を踏まえ、技巧を駆使した和歌を中心に撰ばれている。
古い歌の世界を前提にして詠むことで、背景が二重写しになり、まったく新しい世界が浮かぶのである。
後鳥羽院の歌壇ではさかんに歌合(左右に分かれて歌を詠み、どちらの歌が勝っているか競う試合)が行われた。
歌人は寝食を惜しんで膨大な古典を研究し、命を削って歌合に臨んでいたのだった。
後鳥羽院は多才な人で、和歌も蹴鞠も管弦も一流、相撲などの武術にも優れ、果ては自ら刀鍛冶に交じって刀剣を鍛えるほどであったという。
そんな人であるから幕府に主導権を握られることを良しとせず、承久の乱を起こして盛大に負け、隠岐島に流された。
われこそは 新島守よ 沖の海の あらき波風 心して吹け
<後鳥羽院>
隠岐島でも院は新古今和歌集の推敲を繰り返し、『隠岐本新古今和歌集』を作成。
都の貴族たちも、院の求めに応えて和歌を送り続け、『遠島歌合』が行われている。
後鳥羽院は十九年を隠岐で過ごし、崩御の後に分骨は大原の地にうつされた。
藻塩草かくとも尽きじ君が代の数によみ置く和歌の浦波
<源家長>
静かなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞ悲しき
<式子内親王>
見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
<後鳥羽院>
聞くやいかに上の空なる風だにも松に音するならひありとは
<宮内卿>
石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを尋ねてぞすむ
<鴨長明>
面影の霞める月ぞ宿りける春や昔の袖の涙に
<俊成卿女>
かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ
<藤原定家>
小笹原風待つ露の消えやらずこのひとふしを思ひ置くかな
<藤原俊成>
世の中を思へばなべて散る花の我が身をさてもいづちかもせむ
<西行>
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